| アクシデント ヘルンリグラート |
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| 右上に黒いツルムが迫る。夏とは思えないヘルンリの雪景色(1978年7月上旬) ウィンパーといえばマッターホルン。その栄光と悲劇があまりにも有名な一方で『アルプス登攀記』の読者以外には、彼のあのひと夏は意外に知られていない。それが1865年6月16日のグラン・コルニエに始まり、ダン・ブランシュ、グランドジョラス(ウィンパー・ピーク)、ヴェルト針峰、リュイネット、そして7月14日のマッターホルン登頂に至る一連の山行だ。ダン・ブランシュはひどいコンディション下での第3登だが、それ以外はすべて初登頂。その間にもドランのコルのアルジャンチエール側への困難な下降やタレーフルのコルの横断ルート開拓など、すべては足だけの移動手段で達成された。ちなみにダン・ブランシュとヴェルトは、今ではマッターホルンのヘルンリよりハイレベルな登山として位置付けられているし、装備も貧弱でヴェルトのウィンパー・クーロワールは氷を避けて右側を鋲靴で登っている。いずれも、この時代ならではの傑出した山登りの代表格にあげられる。マッターホルンのドラマの陰で忘れ去られるには惜しい、それは疾風怒濤の一か月だった。 若いころの私が変な壁登りに毒されていなければ、ウィンパーのあの夏の偉大な足跡をたどる「シックス・サミッツ」に挑戦できたかもしれなかった。80年代以降の私はエコ的世界観と出合い、必要以上に化石燃料に依存しない生き方を選んで、完全に海外の山とは縁を切った。ここに紹介するエピソードは、それ以前の気軽にアルプス行を楽しんでいた時代のひとコマである。 約10日間のドライブ旅行で山に使う日程はわずか2日半、付録の山は、うまくいけば儲けものだった。パリで慣れない環状線の出口を探しあぐね、二回りしてから南へ向かうアウトバーンに乗り、夕方、マコンに宿をとる。そこはあのコートドールのど真ん中。酔っ払いが舌なめずりしそうな土地だが、ワインには未熟者だった私は、宿近くの酒屋で勧められるままに赤白2本をあてがわれた。その片方の赤が、初めて口にするヴォージョレだった。この地で名高いピノ・ノワールならぬガメイ種のブドウで作られた普及品だが、私たちには旅のスタートを祝す甘露の一杯だった。 山以外の旅の記憶はおぼろげだ。アンシー湖の畔で山盛りのワカサギの唐揚げを食べ、シャモニからトンネルを抜けてアオスタへ。ミラノは素通りし、レッコ湖畔を北上、キャベンナからマローヤ峠を越えてクール。さらにオーベルアルプを越えてローヌの谷に入り、テッシュに車を置いてツェルマット。そそくさとヘルンリへの雪道を登ったものの、小屋は開店休業。7月のシーズンを迎えたばかりだが、雪が多過ぎてガイドたちが客の案内を断っているのだ。 翌朝は暗い中をKと二人で小屋からアイゼンを装着して出発。唯一同宿のスコットランドからやってきた学生二人組のライトが上方に点滅している。ヘルンリは初めてだが、薄暗な中、雪のおかげでルートはよく分かる。やがて日が昇って白銀の世界に一転、登攀記の「マッターホルンの初登攀」の章冒頭のツェルマット出発の朝の情景brilliant morning(輝ける朝)を思い出す。東壁側のミックス地帯をぐんぐん登っていくと、黒いツルムを右手に見上げるあたりで前を行く二人に追いついた。 このあたりから登路は不明瞭になり、彼等は岩が露出している北東稜側へ向かう。私たちはツルムの直下をめざしてミックス地帯をまっすぐに進んだ。落石のリスクはあるが早く行けそうだし、彼等の前へ出ればとりあえず石は落ちてこない。しかし、事が順調に運んだのはここまでだった。突然、カランカランという落石の音とともに目の前を人が転げ落ちていく。すぐにロープが伸びきりパートナーが巻き込まれるかに見えた。ところが途中でロープが岩に絡んだのか、転落は止まった。 奇跡としかいいようがない。驚いたことに、落ちた当人が登り返してくる。見た限り外傷はなさそうだが、ショックが大き過ぎて痛みの感覚が追いつかないことはよくある。転落したのは180センチはゆうにある巨漢で、名前も忘れてしまったので仮にジャンボと呼ぼう。彼はピッケルと片方のアイゼン、それにミトンを一組失った。体温は指先から奪われるからすぐにミトンを与えて温める。 ![]() 右上の北東稜寄りの岩場をジャンボが登っている。このあとアクシデントが発生する ジャンボはロープで確保してやれば、なんとか自力で歩くことができた。ここからヘルンリ小屋手前の安全地帯までは、北東稜からの低い側稜をいくつかまたぎ越していく。途中一カ所、氷化した狭いバンドがあったが、ここさえ無事に通過できれば、彼も生きて帰れる。ジャンボのパートナーは無事だったので先行してもらい、私とKのロープの間にジャンボを入れてすぐ下山にかかった。 転落でダメージを受けているはずの彼は、ロープに支えられて順調に下りていく。そして、問題の箇所である。先行するKが彼のために要所にステップを切って渡り終え、ジャンボの番になる。私は万一に備え山側にピッケルを打ち込み、ブーツ・アックス・ビレイで彼の動きを注視する。と、その一瞬、ジャンボの足が滑ってバンドから転げ落ちた。ピッケルに回したロープが転落のショックを受け止め、山足が斜面に押し付けられる。次の瞬間ジャンボは、私とKの左右からのロープに支えられてぶら下がっていた。実践で初めて体験するビレイ法は完璧だった。彼は片方のアイゼンだけでなんとか登り返し、今度は無事にバンドを渡り切る。とうとう私たちはピンチを切り抜けたのだ。 事故の当事者はとりあえず動け、さいわい天候も良い。ハイシーズンなら登山者も多く、ガイドも大勢いる。事の成り行きを見届けたあとは、この地のレスキュー・システムに委ねればよい。ところが、この時は状況が全くちがった。山稜上にいるのは私たちのみ、ヘルンリ小屋は無人状態で今のような便利な通信機器もない。となれば、居合わせた者同士で事態を解決するほかなかった。かくして私とKのヘルンリは慌ただしく幕がおりた。 ![]() マコンで飲んだ紅白2本。 先日、近くの店で久しぶりにヴォージョレ・ヴィラージュを買って飲んでみたが、やけに水っぽかった。北半球、南半球に限らず赤道を旅してやってくるワインは品質管理が気になる。 最近では温度管理できるコンテナで運ぶのが常識のようだが、ヴォージョレのような安ワインでもそうなのだろうか。船積みのために保存料が添加される惧れもあるから、やはりその国の酒はその国で飲むのがベストだろう。もし、アルプスを訪れる機会があれば、スイスのワインをお勧めしたい。 スイスでは自国消費が大部分だから日本ではあまり飲む機会がない。赤はピノ・ノワールの王国だし、白は爽やかなシャスラがある。ジャガイモのラクレットなんかで一杯やりたいもの。 |