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カシガリ山(霧ヶ峰)
木曜日の予報はまるで悪く、一転、金曜日は晴れだというので、裏のご隠居さんとは金曜日に出かけることにした。
直前まで行先は決まっていなかったのが、久しぶりの晴天とあっては展望重視で出かけたのはまたしても霧ヶ峰、しかしご隠居さんとは初めてのカシガリ山であった。
もう少し紅葉が進んでいるかと思ったが、大門街道の湯川沿いの色づきもまだ9月のようだった。前日に歩いた、似たような標高の八千穂高原よりずっと遅い。
何年かぶりのカシガリ山は、以前より踏跡が薄くなっているように感じた。カシガリ山に近づくにつれてススキを分けて踏跡を探すようになってきた。秋の涼しさなんてまったくなく、これが1700mもある稜線歩きだろうかという暑さで、休憩するにも日陰を探す始末だった。
それにしてもその大展望、ことに、カシガリ山の稜線が八ヶ岳のそれのミニチュアのように手前に並ぶ風景は圧巻である。
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萱ダワ~フシノソリ(御所平)
名古屋のやまんばさんが手を挙げてくれたが、たったひとりでは予定の本栖湖まで出かけるのもと思って、やまんばさんの山荘のある野辺山近辺で山歩きのコースを考えた。
ちょうど富士山や白峰三山が初冠雪した朝だったから、本栖湖まで行ったらそれらが眺められたのだろうが、どうせこれから冬中眺める光景ではある。
八ヶ岳にはまだ冠雪はなく、しかしくっきりと青空に浮かんで秋の光景である。
萱ダワからフシノソリの間がこのコースの白眉で、木々の色づきが遅いか悪いこの秋であっても、それはそれ、あくまで柔らかい地面を踏み、美しい樹林を縫って歩く気分は何とも言えない。フシノソリからの判然としなかった笹原の踏跡ははっきりしているように感じた。
石コツ手前の斜面が大伐採されて、最後には大展望が楽しめるのはいつまでか、展望のあるうちに信州峠へと歩いてみるのも面白いと思う。
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大嶺山に登ってから大鹿村へ(伊那大島・信濃大河原)
しばらく前までは芳しくなかった天気予報が、前日にはすっかり好転した。当たりもしない1週間前の予報なんかしないほうが精神衛生上良いとは前々から思っていたことである。
秋の好日、諏訪へ向かう中央道からは一足早い冬姿の槍穂の峰々が見えて気分は上々である。
大鹿村山行の行きがけの山に選んだのは、中川村の大嶺山だった。天気が良ければ陣馬形山もいいかなとは思ったが、これまで何度も登っているし、頂上が以前よりさらに観光開発されたと聞くと、いくら眺めが良くとも少々意気が落ちる。大嶺山は初めての山で興味もある。
名古屋のNさんと松川で合流し、天竜川右岸の河岸段丘を降りたのち、左岸の河岸段丘を登る。伊那谷の午前は中央アルプスが順光になる。こちらがある程度の高さにあったほうが眺める山は迫力を増す。振り返る中央アルプスは南駒あたりが雲間に見え隠れしている中、越百山がひときわ端正な姿を見せていた。
地形図に名前があるので、ある程度は人も入る山ではあろうが、一般的な登山道があるわけではなさそうだ。地形図から得られるだけの知識で入山したが、それだけに発見も多かった。それらを下山後に調べてみるのも、こういった山の楽しみのひとつである。
つまり特筆すべきは、おそろしくいい道が通じていたことである。道があくまで柔らかいのは人通りが長年ない結果であろうが、道の広さや形の良さは、かつては重要な道だったことを示している。これで路傍に石仏でもあれば最高なのだが、おそらくは山を巻く林道の開通によってそれらは麓に集められたのだと思う。ともあれ、参加した皆さんからも、いい道だねえという賛嘆がしきりだった。
下山後、ほんの1分もしないところに村営展望荘の風呂があるのがいいところで、山の汗を間髪を入れず流すのは何とも言えない気分である。この施設は、窓からの中央アルプスの眺めこそが見ものだが、我々にとっては、裏手に登ってきたばかりの大嶺山が見えるのがうれしい。
そのときにはたと気づいた。そういや「嶺」は現在の「峠」を意味したのだったと。当然「レイ」や「ミネ」ではなく「トウゲ」と読むのである。そんなことは『甲斐国志』を見れば一目瞭然なのにすっかり頭から抜けていたのである。
となるとこの道の良さが納得できる。帰ってから明治時代の地形図で調べると、やはり「大嶺」となっていて「山」の字はなかった。いつしか峠の南の三角点ピークが峠名をつけた山になったのだろう。ちなみに、この三角点名は「大草」、合併で中川村となる以前の小村の名前で、今も中川村の中心部である。つまり「大嶺」の「大」はそこに由来するのだと思われる。ひょっとすると、かつては「大草峠」だったのかもしれない。「大嶺山」は「おおみねさん」と読むらしいのだが、山容にしてはあまりに大げさな名前に感じるのは現代の感覚による勘違いというものであろう。
初日は大嶺山に登ったあと、同じく中川村の大草城址公園に寄ってみるつもりだったが、時間切れで大鹿村へ向かうことにした。
今年の遅い紅葉が幸いして、今しも大鹿村の山々の色づきは最高潮であった。深い谷では4時半ではすでに山の半分以上だけが夕照で輝いていた。
2年ぶりの延齢草には、下にも書いたとおり、木曜山行としては今回が12回目の宿泊だった。相変わらずの佐藤夫妻の歓待で、山の夜はゆっくりと更けていった。
明けて、まさしく秋晴れとなった。以前なら、また山へというところだが、昨日の山でだいたい満足している。そこで、中央構造線博物館を訪ねたり、これは初めての大西公園へ行ってみることにした。勝手知ったる佐藤さんが道々案内してくれるのもありがたい。
多少は歩きましょうと対岸から博物館へと小渋橋を渡るころには逆光だった赤石岳は、博物館を見学後に向かった大西公園の展望所に着くころにはすっきりとした姿になっていた。無数の桜が植えらえていて、桜のころにはシャトルバスが出るほどの賑わいだという。36豪雨で崩壊し、多くの死者を出した大西崩れの跡は大河原のどこからも眺められるが、近くに寄るといっそう生々しい。悲惨な災害の跡がこうやって平和な公園になっているのはいいなあと思う。
大鹿村を出て、最後に向かった大草城址公園も桜の名所らしい。公園内にある見事な桜が、こちらはまだ赤い葉を残していた。花の時季でなければ広大な駐車場に車はまばらだった。ここからは桜の枝越しに昨日には隠れていた中央アルプスがすべて見えた。桜と残雪のアルプスの頃には圧巻であろう。
こんな晴天に食堂なんかで飯を食うほどバカげたことはなというのが私の考えである。大きなあづまやを貸し切って弁当を使った。
ここで佐藤さんとは別れ、自宅へとまだ長い距離を残している人たちばかりだから、午後も早めの帰還となった
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海岸寺~源太ヶ城山(谷戸)
2年前の納会の日、地元の山をちょっと歩いてから夜の宴会をしようと、源太ヶ城山はどうかと考えた。何度となく歩いた山で、それだけだとちょっと面白くないと地形図を眺め、海岸寺山とつないで合わせ技一本の山にすることにした。実際、これらの山は同じ稜線にある小さなピークたちである。
一筆書きで歩けるこのコースを我ながら気に入って去年もまた歩いた。しかしいずれも12月のことで、せっかく樹林の美しい山なので、今度は少し早くして黄葉が楽しめるころにしようとおもった。
この計画に裏のご隠居さんとペンタコさんが手をあげてくれた。珍しいほど晴マークが続く週である。今日もまた快晴だった。
このコースは、2本の天然記念物的巨木のツガもしくはモミを門柱のようにした海岸寺参道の古い石段に始まる。今いったい年に何人がこの石段を登るだろうか。
残念ながら黄葉の盛りは過ぎていて、海岸寺のモミジは半ば散っていたし、イチョウにいたってはほぼすべての葉が落ちていた。しかし、落葉がまだ色を残しているのでそれはそれで美しい。
海岸寺山から源太ヶ城山にかけての稜線歩きが、歴史的な興趣があってまた楽しい。枝越しに八ヶ岳が実に端正に見える。
源太ヶ城山を登ってから、過去2度もそこで昼休みをした陽だまりで、実にのんきなひとときを過ごしたのち、まったく膝に負担のないふかふかの斜面を車へと戻った。 |